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伊達政宗が仙台開府の後は岩出山は四男宗泰が初代岩出山伊達家当主となる 左の画像は駿河守従5位下初代伊達宗泰の墓石である 上の画像は初代から14代の墓がある岩出山伊達家累代の墓石群である |
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上 大崎八幡神社 秀衡の家臣照井太郎高値が秀衡の命令で下野目村に勧進したもの 1182年(寿永年間)源義経が平氏征伐の際秀衡の夫人が義経の戦勝を祈念して神鏡を奉納した 今もご神体として残ると言う 伊達政宗による建設ではないのです 近くに右下鍋倉山八幡神社があるが義家勧進縁の八幡神社が岩出山には4っつもあるのは前9年・後3年の役の陸奥に与えた影響が如何に大きかったかの現れでしょう
上左 岩出山伊達家菩提寺諸法山実相寺歴代藩主の位牌が安置されている 天正19年(1591)大崎一揆鎮圧の為徳川家康が8月18日から9月27日まで止宿して500石の御朱印を寄進している 今猶そのため家康の霊牌を安置しいる その他伊達家縁の人の墓が多数ある
左 玉陽山光寺二代目宗敏の創建 初代宗泰の生母(塙団右衛門の娘 光院殿浄林良清大姉)の墓・宗敏の生母その妻や子供・伊達兵部宗勝の子虎之助の墓がある |