観世音寺山門黄金の山額  ここに衣の関があった証でしょう
下右 関寺 観世音の碑 衣の関を暗示してる碑です
下左  京都聖護院門主 道興准后の歌碑と東禅寺の由来の石碑 山門の前にある
みちのくの 衣の関を きてみれば  霞もいくへ たちかさねけむ
  上 古代衣前郷(現柴田郡槻木町)と呼ばれていた地にあったと云う衣の関の関跡と言われる衣関山東禅寺山門 別名関寺とも云う

下  柴田郡33番札所 第一番 関寺聖観世音菩薩   御詠歌
世をすくふ ふかき恵は 関寺の 法のみやまに ひびく松風

左 白旗八幡神社
八幡舘跡
北向き八幡とも呼ばれ天喜4年(10156)に始まる前9年の役源頼義 義家親子が戦勝を祈願して氏神八幡宮を康平5年に勧請した 二人の寄進状二通の書状が残されている 関の東北数百mさきにある
 白旗は源氏の旗から白幡八幡神社で字名も白幡である 


衣の関 
其の2


 


  このお堂は本堂隣の旧奥州街道沿いにある 柴田郡33番札所のうちの1番札所であることからして関所のあった重要な所だったのでしょう
右 原田甲斐の母供養碑
 
平成4年新本堂建設の為の境内整備中に裏の池の拡張工事中出土した 当時原田甲斐は逆臣・極悪人とされた状況から船岡城近くでの法要が出来ず居城が見えるこの地で旧家臣や娘によって甲斐の7回忌と併せて法要を行い人目につかぬよすぐさま土中に埋めたのではないかと郷土史家の説明板があった(甲斐については現在も逆臣・忠臣の説が交錯している)観世音寺の後ろにこの供養碑がある