栗駒山 其の2
地図を広げていただくと分かるのだが栗駒山(1627・7m)は奥州陸奥・出羽 東北の中心にあたる山である事を知る人は意外と少ない。陸奥には蔵王 鳥海山 磐梯山 八甲田山等名峰は数多いが東西南北の中心にあるのはここ栗駒山である。よって岩手・秋田・宮城の三県境にある。大日本地名辞書(吉田東伍)に「栗駒岳 駒岳ともいい古名が駒形嶺、陸前(宮城県)北 重鎮にして形勢最雄大なり、一迫・二迫・3迫川之に発す。首峰を大日岳といひ神廟あり」とある。東北の要の山として、そしてここ栗原郡は北的陸奥 南的陸奥の分嶺地として大和朝廷は陸奥・出羽拡大に際し霊峰としたのかも知れない。当初は駒ケ岳の名称であったが、この名称は全国各地にあることから何時の頃からか「栗原郡の駒ケ岳」と呼ばれていた事から栗駒山となったようだ。但し岩手県側では須川岳と呼んでいる。山頂からはきっと広大な栗原郡が一望できるに違いないのだろう。この山の麓は蝦夷と大和朝廷とのせめぎ合いの史跡・遺跡・逸話・石碑などが実に多くありマニアの垂涎の地である事間違いない。代表的なのが鳥矢ヶ崎古墳・屯(営)ヶ岡・駒形根神社・栗原寺・伊治城・阿久利川等枚挙に暇がありません。大和朝廷はこの広大な蝦夷の地を征服するのに日本武尊以来凡そ700年もかかったのです。その間のさまざまな戦いの数々 さまざまな人々の往来の数々を見続けたのが栗駒山である。 (参考 栗駒町史 栗駒町) 平成16年5月10日 |