舎那山長谷寺 大同3年建立と言う その山号は源義経(遮那王)が兄頼朝の平家追討の旗揚げの際 郎党と共にここ長谷寺に参詣して武運長久の祈願をこめて石巻から海路鎌倉へ船出したのに因み奉ったという 真野の萱原の碑があるが下のように一級の歌枕の地としては淋しい 石巻の牧山の裏側の北東部で京が森 雄勝峠 上品山 籠峰山に囲まれたU字型の盆地で其の一帯の平野部を真野の萱原と言う その真ん中を真野川が流れている 写真のように今も一面田園風景であるが萱というか葦と言うのか所々に見られる ことに真野川の葦の群生は往時一面の見事な真野の萱原の名残を想像させ実に感慨深いのである 古代石巻湾はずっと奥まで入り込み真野川は直接海に注いでいて噂の葦 葦が繁茂していたに違いない 真野地区には延喜式内社伊去波夜和気神社 久集比奈神社の2社がありこの地域の古への凄さを物語る 
 
片葉の葦 石碑の後ろにあるのが長谷寺入り口にある片葉の葦 この葦は秋になると都恋しさに京の方角に向かって倒れると言うのです 都から古代陸奥や現代東北への心ならづも転勤や左遷させられた方々の心情を例えたものだろうが今も昔もサラリーマンの本質は変わっていないようだ 5月上旬で葦の背丈は未だ未熟である   舎那山長谷寺から見た真野の里
 上中・上右端 真野川下流の葦原 この様な風景が真野の萱原だろうか 蝦夷の英雄も政府軍の武人も眺めたに違いない
 豊かな蝦夷の地である 5月上旬の真野川の真野の萱原がわずかに残っている
   長谷寺大悲閣観音堂 堂は420年前の建立とされ本尊の11面観世音菩薩像は藤原秀衡公が安置したとと伝える  
     真野の萱原 其の3