左 天麟院御廟
天麟院は政宗の一人娘五郎八姫が余生を送った寺 5歳の時に徳川家康の六男忠輝との政略結婚させられたが忠輝が徳川家でも冷遇された存在だったため不遇をかこつ 後に22歳で離婚仏門に入りここ松島で晩年をすごし69歳で没す

 比翼の塚 円通院向  秋田県の象潟と宮城県の松嶋は昭和62年8月1日姉妹都市の縁を結んだ 勿論芭蕉の『松嶋は笑うが如く象潟は恨むが如し』と対で語られるその似たような風景もさることながら象潟の江連尼と松嶋の小太郎の縁も大きい 
植え置きし 花の主は はかなきに
    軒端の梅は 咲かずともあれ
咲けかしな 今は主とながむべし
    軒端の梅の あらんかぎりは

本名は谷 許嫁の小太郎が他界したのち嫁ぎその父母に孝養を尽くした 後に瑞巌寺明極禅師の弟子となり紅連の名を許された 
左 芭蕉翁奥の細道松島の文の碑 瑞巌寺前左
『抑々ことふりにたれど松嶋は扶桑第一の光風にして凡そ洞庭・西湖を恥じず・・・・』と以下松嶋の名美文が彫られている

松嶋 其の7



左 元台湾総統李登輝夫妻の句碑
芭蕉文碑の隣


松島や 光と影の
   眩しかり 
    李 登輝

松島や ロマン囁く 夏の海 
    曽 文恵

西行法師座像  天麟院境内 彼は文治2年(1186)68歳の時松嶋を訪れた 200年まえの石像
辞世の句 願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ
  上 町指定文化財陽徳院山門
承応2年(1653)2代藩主忠宗が政宗の正室母(愛姫)の廟所を護るために建立した香厳院で母の生前の修養道場として雲居禅師を迎えて開山 円通院 天麟院とともに松島の三霊廟という

左 町指定文化財円通院山門
円通院は2代藩主忠宗の次男光宗の墓所 彼の母は何と家康の娘督姫 頭脳明晰 文武両道に長けていた 外様大名の世継で名君が出ることを幕府は嫌った その為茶会に招かれ毒殺された と言うのが定説 19歳だった