涌谷伊達家菩提寺海雲山見龍寺 寛文11年(1671)所謂伊達騒動の一方の人物で死亡した涌谷4代藩主伊達安芸宗重を含む以下16代までの歴代の藩主と夫人の菩提寺である 霊屋には『尽忠』の額がる 仙台藩主四代綱村(亀千代)の筆になるものだが難解な寛文事件の忠臣として讃えている 十数年前の仙台沖地震では五輪塔が倒れ三番目の石からお香と共に一塊のお骨が出てきので廟が出来る前に江戸で殺された宗重を弔ったものと評判になった 指差人物の話です
上左端 延喜式内社黄金山神社
この辺りは黄金迫(こがねはざま)と呼ばれ国指定史跡となっている
上 境内右側にある万葉最北の歌碑
須賣呂伎能 御代佐可延牟等 阿頭痲奈流 美知能久夜痲爾 金花佐久
(すめろぎの みよさかえむと あずまなる みちのくやまに くがねはなさく)と彫られています
左 日本黄金始出地の碑 大槻文彦博士
江戸時代までは産金地は牡鹿半島沖の金華山島と考えられていた それを明治になって大槻文彦氏が陸奥国遠田郡小田郡沿革考を著してここ涌谷の神社跡が金産地と考察した それを昭和33年からの発掘調査で考古学的に彼の学説が証明された記念碑である
涌谷城 
現在は城山公園として整備され本丸は涌谷神社二の丸跡は資料館となっている
  黄金山神社に近い街中に涌谷伊達家菩提寺見龍寺がある 上の画像は境内にある涌谷伊達家墓所 四代安芸宗重と夫人の霊屋 五代宗元と夫人 6代村元以下16代まで歴代の城主と婦人の墓が洩れなくある 不断は開かずの廟ですが偶々地元の歴史ずきの方が覗き見る所迄案内してくれ塀の上から撮影出来た
       陸奥山 其の4