陸奥国分寺の正式名称 
 金光明四天王護国寺跡の碑

左 県指定重文 仁王門
右 県指定重文 鐘楼

上左 宮城野の碑 宮城野区榴ヶ岡
 国指定重要文化財国分寺薬師堂 天平13年(741)45代聖武天皇の勅願により60余国に建立された最北の国分寺 寺の華七重の塔は934年焼失し他の七堂伽藍は頼朝の奥州征伐で悉く焼失した 1605年伊達政宗が3年かけて現在の薬師堂・仁王門・鐘楼を再建した
上 県指定重文白山神社 国分寺境内にあるが国分寺以前から祀られていて国分寺に土地を貸した神と言う 木の下白山神社と呼ばれる
 国分寺18伽藍の一つ准胝観音堂 五代藩主伊達吉村夫人により准胝観音が寄付されたのを受けて6代宗村により建立された
 古今和歌集東歌からこの地を木の下と名付けられた



        宮城野其の4