余り耳にしない歌枕で関心のない方は殆ど通り過ぎてしまうでしょう。国道47号線沿いにあるのでその気になれば皆さんもゆっくり眺める事ができる所である。なんしろ其の丁度真向かいが小黒崎観光センターなるドライブインになっているから。岩出山町を出て鳴子温泉に向かう途中にある。この国道山形県に抜けるので北羽前街道又は鳴子から秋田に抜けるので羽後街道とも呼ばれた。この国道右手にJR陸羽東線が、左手に玉造川(荒雄川・江合川)が流れている。この3っつが岩出山町と鳴子町の町境で最も狭まるところにこの歌枕の地はある。勿論芭蕉も通っているが「・・・岩出の里に泊まる。小黒崎・みづの小島を過ぎて、鳴子の湯より尿前の関にかかりて・・・」とだけでそっけない。その点曾良旅日記は「十五日小雨ス。二リ二宮 壱リ半かぢハ沢 此宿へ出タル、格別近シ。此間、小黒崎・水ノ小島有。名生貞ト云村ヲ黒崎ト、所ノ者云也。其ノ南ノ山ヲ黒崎山ト云。名生貞ノ前、川中ニ岩嶋ニ松三本、其他小木生テ有、水ノ小島也。今ハ川原、向付タル也。古ヘハ川中也。宮・一つ栗ノ間、古へハ入江シテ、玉造江成ト云。今、田畑成也」と詳しい。今も全く記述通りの景色なのが嬉しい。国道脇の小黒崎山は244.6m 新緑と紅葉の名所と言うが別名死人山とも言う怖い異名もあるのだそうです。昔伊達藩政時代この山から金が採掘されたが坑内の落盤で多くの人が亡くなったからと言う。この山の前を流れる玉造川の中に嶋のような大きな岩石があり松の小枝が数本ある。これが美豆の小島である。玉造郡志には「翠松枝を交へ、風光絶佳古来和歌文学に著名なり」とある。古今和歌集が出来たのが905年(延喜5年)、紀貫之が元慶6年〜天慶8年(882年〜945年)の人物だである。元慶2年(876年)と天慶2年(939年)には秋田では俘囚の叛乱(元慶の乱・天慶の乱)が起き、未だ々騒然たる時代にも拘らずこのような歌を詠むとは陸奥は都の人にとり余ほどエキゾティック魅力的だったのでしょう。尚岩出山町からこの歌枕の途中にある池月上宮に池月神社(馬櫪神社)がある。何と鎌倉時代あの宇治川の先陣争い(佐々木高綱と梶原影季)で有名な名馬『生月(生咬とも書く)』が出た所と言うのです。然し七戸町の奥の牧が出生地と言う説が青森県では有力だ。いずれにしろ此処は馬産地だったようで明治天皇の御料馬金華山号の産地でもあり馬の歌をも詠んでいる。往時は近くに池月沼があり片葉の芦が繁茂していたが『今はただ名のみなり』と大正13年8月19日調査委員の報告も有る。ここには更に延喜式内社荒雄川神社がある。温泉(ゆ)神社(鳴子) 温泉石(ゆいしま)神社(川渡)とともに玉造三社である。1086年八幡太郎義家が戦勝祈願で黄金の剣を奉納、藤原秀衡が奥州一ノ宮に指定、岩出山伊達氏の氏神である。勿論これは阿武隈川の阿福麻河伯神社 北上川の日高見神社と同じ荒雄川の水神であろう。水源に近い鬼首の荒雄岳の麓にあるのが岳の宮、ここ池月にあるのが里宮という。此処玉造に八幡神社が多いのは勿論頼義・義家親子そして頼朝の源氏の影響が大きかった証である。地味なようだがここ47号線は意外な発見があり歴史探索する価値がある歌枕の地である。いずれも皆道路わきにあるのがいい。
(参考 岩出山町史・岩出山の歴史見聞 岩出山町 奥の細道とみちのく文学の旅 里文出版) (平成16年3月30日)
   
   古今和歌集東歌の歌碑

小黒崎・美豆の小島 其の2