実方通りにある案内石柱 実方通り碑の上の部分
名取駅前通りにある標識である それには実方のお墓への道案内になっていて陶板製である 実方は在原業平と並ぶ平安時代きってのプレイボーイともいわれ美貌と和歌のセンス抜群の持ち主で光源氏のモデルとも言われ清少納言とも恋仲だったと云うそのラブレターは 
左 道祖神路の碑 
笠島塚又は芭蕉塚とも言われ安政3年(1856)に仙台城下河原町の小西利兵衛によって建てられた物である 道祖神は勿論笠島にある道祖神(正式名称正一位左倍乃神社)の事である これは旧奥州街道上にあり電信柱の脇にある細い道(路)の先に笠島がありその分岐点かも知れない 電柱脇の石柱には笠島路と彫られている 道祖神路の碑は3角形をしていて他の面には芭蕉の句 
笠島は いづこ五月のぬかるみち
が彫られている
  
右 実方朝臣の墓の入口
➡ かくとだに えやは伊吹の さしも草
         さしもし知らじな 燃ゆる思ひを
右 形見の芒
 名取市愛島塩手
朽ちもせず その名ばかりを 留めおきて
            枯野の芒 形見にぞ見る
上の歌は西行が陸奥を訪れた時 野中に由緒あり気な塚を見てこれが実方の墓と知った彼は折からの霜枯れの芒を見て詠んだと言う  ご覧のようにこの形見の芒は普段見る芒と少し違っていますね 9月20日と云うのいまだ穂が出ていない なおかつ葉のたれ具合や群れ具合や太さが違うのだ 青々として風情はない さらに葉の陰になって句碑が見えないのです 
その右隣の写真は3月の時に来た時の形見の芒である 句碑には仙台藩士松洞馬年の句で 笠島は あすの草鞋の ぬき処 とある 

 名取笠島 其の2
           

右端  実方橋の奥の杉林の入った所に実方の墓・歌碑がある
右端上 鞍掛石  説明板の後ろの石は鞍掛の石 998年実方がこの地訪れた時か又は源 義家が前9年の役や後3年の役でこの地を通過した際に乗った馬の鞍を掛けた石の伝説がある