ホテル佐勘内にある伊達家から下賜された建物内部で名取の御湯発祥由来と伊達家との関係を示す資料館となっている
   上・左 名取御湯 磊々峡
 
名取川が秋保石浸食して出来たこの渓谷が何と温泉入口の覗橋上下凡そ1kmにわたって続く  名付け親は昭和6年(1931)夏目漱石の門人で独文学者の小宮豊隆氏による 100万都市仙台市杜の都緑の名所100撰のひとつである  石を三つも重ねた文字通りの岩が20mの高さで重なり然も川幅僅か数mと極端に狭くなっているのが約1kもつずく 日本人好みのする景観は一見に値する 
磊々
の意味は石がごろごろしてる様・重なり合っている居る様を云うのだそうです(大漢語林 大修館書店) さすがに名付け親は東北大学の名誉教授です 現物の迫力は段違いだ 
   楽寿園の碑 
碑に彫られてる明治44年の碑文が右である 名取の御湯は安政2年8月の大地震の為にその湧出が止まってしまった その時湯守寿右衛門の祈祷や人夫による掘削にも拘らず一向に湧き出る気配がなかった 最後の手段彼は湯殿山に180日の参籠祈願を決行した すると翌年2月に再び温泉が湧き出たと云う その彼の功績を讃える碑である  この碑に右の文言が彫られている


名取の御湯 其の3
  
秋保温泉観光案内所提供