上下右 芭蕉塩釜乗船の地  古い太田醸造店のある塩竃市の中心の交差点  ここが芭蕉が松島へ船出した地とはとても信じられない 

登録有形文化財 丹六園 塩竃銘菓志ほがま 
大正3年の建築だが材料の殆どは江戸時代のそれを再利用したもの 古い菓子商古梅園の分家で当主は11代目丹野六右衛門を名乗る 和菓子の世界では軟落雁をしおがまと総称し全国で販売されてるが元は江戸時代の塩竃の土産品であった南京糖に由来する  

左 しるべの石
地誌奥塩地名集では塩竃9名石の一つで享保16年(1731)塩竃の菓子商越後屋(三井)喜三郎によって建立 正面に東なゝまが里水戸(七曲水戸) 南御だい乃はし(おだいの橋) 北なゝまがり坂(七曲坂)西御古しかけ石(お腰掛け石) とあるこれらはいずれも塩竃神社祭神塩土老翁神にまつわる伝説の地でここが塩竃中心であったことを示すという

千賀の浦
 其の5
 


 塩土老翁神が腰かけたおこし掛石の伝説がある6角形の石
 塩竃神社従是壱町の碑 上の交差点 から塩竃神社へは左凡そ400mで当時は一の鳥居辺りまでが渚であった 現在海はここから右600mもある 明治15年政府が東北の開拓拠点港として塩竃を選んだため1000年の風情を犠牲にしてしまった
浦霞酒造醸造元 佐浦 創業は享保9年(1727)仙臺藩主伊達氏より塩竃神社への御神酒の納入の御下命に始まる 浦霞の命名は大正年間 後の昭和天皇に酒を献上する栄を賜った時鎌倉三代将軍源実朝が詠んだ『塩釜の 浦の松風 霞むなり 八十島かけて 春やたつらん』からいただき命名した由緒ある醸造元