東北の方言でいわゆる霧が『もやもやしてる』のである。いつも霧で曇っていてはっきりしない天気を方言で『むやむやした天気』とも言い 又ここは地名の示す如く笹が生い茂り当時の細い道が見えないし(行ってみると分かる) 且つ曲がりくねって笹に隠れていて今でさえ『先がうやむや』(有り也無し也で分からない)ではっきり分からないないのである。つまりこんな状態だから関本来の呼称よりその関の特徴をあらわした方言の呼び名で広く世間に広まったと言うのだ。兎に角いらいら はらはら むかむか どきどき くらくら へとへと くたくた こわごわのどれをとってもピッタリの関名なのだ。どれぐらいひどいのかは歌の言葉にある『おちおちどち』とか『とやとやとほり』の漢字書き 遠・遠・遠を3回も繰り返している事からもいかに遠く 鳥も通わぬ位遥かな辺境の関だったかをかを十分に理解出来るでしょう。所で此処には鳥は通はぬけど神鳥がいたと云うのです。そして上述の如く昼尚暗い深山幽谷の地なので山鬼が出没して行人を捕らえ餌食にしていたという。その難儀を見て神鳥(やた烏か?)は不憫に思い山鬼が峠に下りて来ているときは『有耶』と鳴き いない時は『無耶』と鳴いてその安全を知らせたと言う。だから有耶無耶の関となったとも云うのである。いずれにしろこの関は逢坂の関 不破の関 勿来の関 白河の関等 歌や文学で高貴な方々にちやほやされた関とは違い本当に命がけの関だったようである。
(平成14年9月9日)(参考 川崎町の文化財 川崎町古代語の東北学 歴史春秋社)
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笹谷峠 柴田郡川崎町今宿
笹谷峠は古来多賀城と秋田出羽柵を結ぶ重要な官道でしたが難所として知られ遭難した人々を弔うための数多くの板碑がある 尚平泉に下る義経記にある伊那の関もこの関ではないかといわれる
有耶無耶の関 其の2
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