月山・湯殿山・羽黒山の各三神社を合祭した三神合祭殿 
高さ28m 茅葺の萱の厚さ2.1mと言う日本一の豪壮な大神殿だ 平成12年に国の重要文化財指定された三神合祭殿は神仏習合時代の名残を留める特異な屋根の構造になっていて内部は総漆塗りなのです 

羽黒山頂にあり三山の開祖蜂子皇子は難行苦行の末羽黒大神の御示現を拝し山頂に羽黒寂光寺を建立し次いで月山神・湯殿山神を勧請して羽黒三所大権現と称して奉仕した 明治維新の神仏分離後大権現を廃して出羽神社と称して三所の神々を合祀しているのでこの建物を三神合祭殿と称する 

崇峻天皇皇子 蜂子皇子墓       宮内庁の管轄
日本書記では崇峻天皇5年10月4日献上された猪を見て天皇は『何時の日か悪みても余りある者を此の猪の首断つが如く斬る事が出来ようか』と呟いたのです 厩戸の皇子は驚いて側近には口止めしたが忽ち蘇我馬子の耳に入った 一説には密告したのが大伴小手子であるとの説もある 馬子は『天皇は私を殺そうとしている』と天皇暗殺への思いを深めていったのです 刺客東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)を送り込み天皇を暗殺したのです(崇峻5年11月3日) 物部氏を打ち破って崇峻天皇を擁立したがその後の余りの横暴に天皇との間に亀裂が深まったのです 聖徳太子(厩戸皇子)により密かに蜂子皇子は遥かここ陸奥に逃避したのです 小手子は一人娘錦代皇女と共に大和を脱出して蜂子皇子のいる陸奥へと向ったと言う
面白いことに福島県の伊達郡川俣町や伊達市月舘町には小手姫祭りがあり小手子姫が陸奥に逃れ養蚕の技術を教えたとの言い伝えがある  小手子姫は天皇の皇后さまです 

有名な出雲大社本殿の高さが24mであることを考えるとその大きさが分かるでしょう 往時半年間は積雪の為月山・湯殿山への参拝できないことから三山の神を併せて祀ったのです 兎に角其の茅葺の見事さは必見だ 社殿は合祭殿造りとも称すべき羽黒派古修験道独特の造り 現在の合祭殿は文政元年(1818)に再建されたもの


羽黒山 其の5

      

蜂子皇子を祀る蜂子社 三神合祭殿の隣 
開祖の御尊像は江戸初期までは羽黒山五重塔に安置されていてが比叡山の湖海院という高僧が開祖蜂子皇子皇子のことは宮中の記載にあり独自の御殿がなかったことを察し如何なものかとの忠告により元和5年(1619)俊別当が羽黒山上に御堂(開山堂)を建立し開祖の御尊像を安置した 明治の神仏分離で羽黒山は神の山となり開山堂は蜂子神社と改称した 
 
蜂子皇子墳墓 
菊の御紋ビロードの様な苔のグリーン杉の巨木が見事に印象的です