花笠踊り発祥の地 徳良湖  尾花沢市大字尾花沢 
東北を代表する山形市の夏祭りである花笠おどりは実はここ尾花沢が発祥の地なのです 徳良湖の堰堤造成にさいして工夫達が歌ったのが花笠音頭となる
 元々村山地方で歌われていた土突(どんつき)唄が元になっている 土突の際の調子合わせの歌だった 農林省推薦日本ため池100選の一つ

銀山温泉   尾花沢市銀山新畑
慶長年間に栄えた延沢鉱山の工夫が発見したと伝える 何といってもそのノスタルジックな大正ムードがその人気の元だ

尾花沢指定文化財 涼し塚 養泉寺境内
      涼しさを 我が宿にして ねまるなり
 
ねまるとは尾花沢の方言でだらりと休むの意味『どうぞねまらっしゃい』などと言う 芭蕉は養泉寺に7日清風宅に3日と10日もねまったのである  芭蕉と曾良は清風の配慮で修築直後で木の香も新しく静寂な養泉寺で自由に諸俳士と交流した
上右 銀山温泉能登屋旅館木戸佐エ門は国の重要文化財と外人の女将で人気だ 大正14年築の三階建ての木造建築  陸奥出羽按察使大野東人多賀城から秋田城への直通道路玉野新道開削した時ここを通過した。勿論温泉発掘の1000年も前だが あNHK連続テレビ小説のおしんの母親も酌婦として働いたのもここ銀山温泉で一躍話題となる    続日本紀天平9年4月の条によれば陸奥按察使大野東人が737年(天平9年)2月25日多賀城を出発した 3月1日に宮城県加美郡色麻柵を出発しその日のうちにここ大室に到着した (6000の兵が道を開きながら当日中に山形へ抜けられるかは疑問が残るが)そのルートは現R347号線の鍋越峠越えと今は廃道となってる銀山越(軽井沢越)との2説がる 陸奥出羽按察使大野東人が到着した大室駅も定かではないがここ兵沢遺跡か西原堀の内遺跡ではないかとされている 兵沢遺跡は銀山越えの峠を銀山温泉を過ぎ終えた所にあり共に6000人が十分屯できる平坦な地だ 尾花沢・銀座温泉の地は古代のロマンがあふれる地なのだ 
      最上川 其の11
  

玉野新道
多賀城から秋田柵への直通ルートを按察使大野東人が開削し尾花沢の大室駅に駐屯した 左側の暗い道が上ノ畑から銀山越えの玉野新道ではないかと想われる 6000の大軍が宮城県色麻柵からここを通って玉野に入った 銀山温泉近くである
 
天台宗弘誓山養泉寺 尾花沢市梺町2丁目
芭蕉が異例の7日間も滞在した寺で羽州街道沿いにある 高台にあり確かに涼風がすがすがしい
 左上 鈴木清風宅    尾花沢市中町
鈴木清風は芭蕉と親交のあった俳人で本業は島田屋という商家の三代目で紅花大尽とも呼ばれる豪商であった 元禄3年の夏紅花の商いで江戸に上った清風を江戸の商人たちは田舎商人と甘く見て不買同盟を結んで妨害した それに対して清風は『紅花に似せた鉋屑を燃やす』という知略を駆使してそれを突破し翌日の紅花相場を暴騰させ3万両もの利益を得た 『尋常の商売で得た金ではない きれいさっぱり使い切る』と言って 吉原の大門を3日3晩締めって遊女たちを休養させた』という豪快な逸話もある
 清風宅の隣に芭蕉・清風歴史資料館がある   

奥の細道 尾花沢の一節  尾花沢にて清風と云う者を尋ぬ かれは富めるものなれどども志いやしからず 都にも折々かよひてさすがに旅の情けをも知り足れば日比とどめて長途のいたわり様々にもてなし侍る
涼しさを 我が宿にして ねまる也      芭蕉
這出でよ かひやが下の ひきの声     芭蕉
まゆはきを 俤にして 紅粉の花       芭蕉
蚕飼する 人は古代の すがた哉      曽良

5月17日尾花沢清風宅に到着して5月27日に『尾花沢ヲ立チテ立石寺ヘ趣』いている