昭和天皇御製の歌碑  舟戸大橋 尾花沢市名木沢
広き野を ながれゆけども 最上川 
        うみに入るまで にごらざりけり

この歌は山形県の県歌となっています 天皇に歌われる川は多くはないでしょう 最上川の偉大さが分かります
 
最上川四大河岸の一つ清水(合海)河岸跡にある金刀比羅神社
讃州琴平宮から分身を賜り当地に祠祭し航海の安全の守護神とした 今は見る影もないが創建当時は三間四面の漆塗りの入母屋造りで軒先九尺の豪華な建造物だったと言う 如何にも最上川舟運の繁盛ぶりを偲ばせます

右ひじおり・左ふなかた追分
大蔵村清水河岸近くの八幡神社近くにある道標 

大蔵村稲沢の渡し 対岸が清水河岸である
 最上川 
其の13







左中  清水河岸近くの歴史標識
旧船方街道(羽州街道船方宿に至る)とある

舟戸大橋     尾花沢市名木沢 
縦軸としての最上川は山形の物流・経済・文化発展の根源だが横軸としての東西の往来には大きな障害物であった 橋の完成は天にも昇る感激だったらしい 近年までは渡しが主流であったので各地で水難事故が多発したのです 

清水河岸跡があったと思われ所に案内していただいた地元のおじさん  最上郡大蔵村清水・合海地区
最上氏一門の成沢満久(清水満久)が入部以来滅びるまで酒田〜清水間は最上川舟運が中心でここ清水河岸は船次継権が認められ上り下りの舟の支配権を握る重要な中核河岸であり商業活動が盛んな地であった つまり酒田からの荷物はここ清水河岸まで運ばれここからは清水舟に積み替えられて上流の村山方面に上ったのです

 
水駅避翼(さばね)最上郡船方富田地区 画像は最上川支流小国川河口延喜式によると『避翼駅舟6隻・驛馬12疋・傳馬1疋を有する』という記述ある 水駅があった所ではないかといわれる船方町長者原である 勿論現在の船方町猿羽根(さるばね)にその名を残している 庄内地方から日本海秋田への官道だが道なく最上川を利用した