長井市宮の舟場の向かいの外田山の麓にある最上川舟運に関する貴重な石碑群

宮の船場 長井市
船が酒田から置賜地方まで遡るようになると米沢藩は宮に船場をつくり米沢藩の米輸送の基地とした 少し上流の小出にも船場を作った 長井は最上川舟運と交易で発展した 明治になり宮と小出が合併して長井となった

長井市の北方15kmに白鷹町がある 昔ここには鮎貝と荒砥の二つの著名な船着場があったが市役所の人に尋ねてもはっきりしないのです ただ10年ほど前にこの鉄橋の下から1枚の小判が出土したと言うのです このあたりに荒砥の船着場があったのではないかと言う   所でこのフラワー長井線の最上川橋梁は1887年(明治20年)に英国の会社によって架設された代物で➡

船乗りが航行の安全を願った船玉大明神の石碑群
右 長井市内の舟場街道沿いの古峰神社の石塔にも小出下舟場の文字が見える 小出村は宮船場上流にあり遠く不便なため小出村商人が資金を出し合ったいわば民営の船場であった 宮船場をしのぐ繁栄を成し遂げたという
最上川にかかる長井橋の長井商人像 長井市から白鷹町へ最上川を渡る国道287号線の長井橋のたもとに地球儀の上に乗った道中旅姿の長井商人が舟玉大明神の石碑に左手を乗せた像があった 最上川舟運の恩恵の大きさを物語る像だ ➡東海道線の初代木曽川鉄橋に使用された物を1923年(大正12年)に東海道線の役割を終えたためここ旧国鉄荒砥線に転用使用されたもので日本では最古の鉄道橋なのである  1世紀を越えて猶現役の鉄橋はこことJR左沢線にあるものと2つだけであると言う 説明版によると 『ダブルワーレントラス橋梁』と言う専門用語が載っていた ここは最上川第3のビューポイントです

 陸上にある舟玉大明神の石碑群 通りがかりのおじさんの話では舟玉は本来船のメインマストの下にあるのだが陸にあるのはここだけで大変貴重な物だと話していた 他に『長井橋始テ渡塔』とか上杉藩のお抱え船頭の頭取(高梨運蔵)の為の碑とか最上川舟運の歴史的遺産の碑群である 摂津の国住吉郡には式内社舟玉神社がある 勿論船乗りの航行安全の神様でしょう

        最上川 其の3