隼 最上川三難所の一つ隼
最上川 逆白波の 立つまでに ふぶく夕べと なりにけるかも
斉藤茂吉

逆白浪の碑    浄願寺
         北村山郡大石田町
 
逆白浪の碑 北村山郡大石田町
今宿虹ヶ丘公園内
逆白波とは最上川で強風が吹き荒れた時水面で流れとは逆方向に波が立ことです
 茂吉が川漁師から聞いた言葉だそうです

大石田河岸 白壁土蔵風の土手
大石田河岸は元禄の頃最も賑わい最上川舟運の中枢となり寛政4年幕府の船役所が置かれました
左上右 
つい110余年前の明治の晩年まで隆盛を極めた大石田河岸・湊 然し後年度重なる最上川洪水の為昭和40年になって堤防の造成が開始された 然し往年の湊と最上川と町並みが隔絶されることに町民からも異議申し出が多数をしめた そこで画像のような白壁土蔵風の土手となり往時の俤が偲ばれる風情となったのです 酒田・大石田間はひらた船 ここから米沢糠野目河岸までは小鵜飼船という船先が細く幅も狭く荷物は積めないが船足が速く水切れもよく小回りの利く船が利用された

 最上川
 其の9



最上川6番目の大淀ビューポイント  
村山市大淀字日向

最上川 広しと思ふ 淀の上に 鴨ぞうかべる あひつらなめて斉藤茂吉
 正岡子規句碑   浄願寺

ずんずんと 夏を流すや 最上川\
        
北村山郡大石田町

上 大石田町船番所 
最上川の堤防を兼ねている
 大門や塀藏が再現され舟運時代の華やかな頃を忍ばせます
左 大石田町舟場番所跡の碑