山形県指定文化財安久津古墳群  東置賜郡高畠町高畑
まほろばの里歴史公園
 鳥居町支群12基・阿久津支群5基・味噌根支群3基・源福寺支群4基・加茂山洞窟群1基・羽山古墳1基・北目支群1基からなり横穴式石室からなる10m~20mぐらいの規模の円墳群である 7世紀後半から8世紀中期の物とされ多くの直刀・刀子・蕨手刀・鉄鍬・耳輪・玉類・土師器・須恵器等が発見されている

大立・一の沢・火箱洞窟が国指定史跡
下左  安久津八幡神社 
まほろばの里公園 東置賜郡高畠町大字阿久津

白竜湖  山形市南陽市赤湯
数万年前は此処総てが湖だったのです 中央の水たまりその名残の沼です 南陽市の下の道路は国道13号線です 周りは総て葡萄畑のビニールハウスの波です

儀山政宗夫妻の墓野手倉墓地   東置賜郡高畠町竹森
当初不明であったが明治37年に草むらの中から発見され伊達家により500年祭が執行された 右が政宗 左が室紀氏の墓 有名な国史跡日向洞窟のちかくである ➡

 860年(貞観2年)慈覚大師の開基になると云う 三重塔は寛政9年(1797)に再建されたもので県指定文化財になっている
 
国指定史跡名勝日向洞窟 東置賜郡高畠町
 広大な白竜湖の袂にある凡そ1万年前縄文時代の人類の生活の遺跡が出てきたのです 石器時代から縄文草創期の遺跡で土器・石斧の他人骨・熊・鹿・狐・鴨・山鳥の骨が多数発掘された 貴重な遺跡群が14地点に分布している
 上中の画像の左上に白竜湖の文字が見えます 白龍湖が左上の隅に描かれているが往古は左半分の白い部分全体が湖だったらしいのです は今南陽市赤湯にある白竜湖なる周囲2km位の湖沼があるが数万年前は南陽・高畠・米沢に接する広大な湖だったらしい    元々安久津とか阿久土と云う地名は低湿地帯にある呼び名である 置賜湖盆と呼ばれ低湿地帯独特の植物群が育成して白龍湖泥炭形成植物群として県天然記念物に指定されている 其のせいか上中の写真の様に丘陵に沿って縄文洞窟遺跡古墳群が見られるのです 歴史的記述の少ない優嗜曇郡だが高畠町小郡山・南陽市郡山・米沢大中田町浦遺跡・西川町下小松道伝遺跡の4箇所が郡衛(役所)跡ではないかとされている 以外に多くの遺跡がるのには驚く

現代人でも大変な冬季この豪雪地帯のの置賜地方にも1万年以上も前の石器時代から人類が生活していたとはどんなに大変な事だったろうかはかり知れません

   優嗜曇 其の2

      
 ここ高畑地方は伊達宗遠以降7代にわたり(宗遠・義山政宗・持宗・成宗・尚宗・稙宗)施政が行われてきた地である その後15代晴宗の代に米沢城に移り17代貞山(伊達)政宗の代に宮城県岩出山城に移動するまで210年にわたり置賜を統治した ご存じ独眼竜正宗は貞山政宗である 儀山政宗は新続古今和歌集に2つの歌が載っている
中々に つづら折りなる 
   道絶えて 雪の隣の
       近き山郷
山合の 霧のさながら 
 海に吠えて 波かと聞はば
        松風の声

儀山政宗の妻は室町幕府将軍足利義満の生母の妹(義妹)の紀氏
である 

 道路わきにある儀山政宗の案内碑 ここを少し登ると墓がある