上 高畠町と川西町の境の最上川のたもの夏刈にある資福寺廃寺跡九代伊達政宗(儀山)の供養碑がある 政宗と云えば17代独眼流伊達政宗ばかりが有名だが儀山政宗父宗遠と共に1380年(康暦2年)福島県伊達郡桑折町西山城から山形置賜郡侵攻し長井氏を攻め滅ぼし高畠城に移った謂わば伊達氏中興の祖でもあるのだ 以後40年間置賜郡が伊達氏の本拠となるのです 17代政宗は貞山政宗という この向には正室紀氏の同じ形の供養碑がある 
下 儀山政宗
の隣にあるのが貞山政宗の父輝宗の墓である 輝宗は1585年(天正13年)福島県二本松城の畠山義継の策略により誘拐されたがこれに気づいた政宗が猛追して二本松領一歩手前阿武隈川の高田原で追いつき義継を討ち取ったが父輝宗も失った 彼は途中福島市佐原にある寿(慈)徳寺で荼毘に付されてここ資福寺に埋葬された
資福寺 東置賜郡高畠町夏茂


出羽亀岡文殊堂
東置賜郡高畠町亀岡
 
文珠菩薩様の寺らしく勉強する羅漢様 
本堂に納められている和算の算額が 愛知万博に出展される事となり名古屋大学の教授が調査したが解答が違ってるとのことで出展見送りとなったと資料を見せて笑っていた 関流八伝吉川益助近徳門人自問自答十一条伝統と書かれていて12名の人の幾何学が書かれている 他にも最上流佐久間派算額等も見せてくれた

米沢は陸奥の覇者伊達政宗公生誕の地名なのだが上杉謙信・景勝・鷹山・直江兼続の前には全く影が薄いのです 
上杉神社境内がある米澤城(松岬公園)は會津120万石から30万石に減封された上杉氏が入ったが6000人の家臣を抱え城下町建設のため城郭建造まで手が廻ら無い上 幕府への遠慮もあり城郭も作らず粗末なお城だったという


➡51代平城天皇の大同2年(807年)徳一上人が勅命でここに移されたというのだ それ以来丹後宮津の切戸文殊・大和桜井市の安部文殊と共に日本三文珠となった 三年連続お参りすると知恵がつくそうです ことに各種試験と学徳成就守護仏です(同寺栞) 菅原道真公の天神様とはどちらがご利益が有るのでしょうか

国重要文化財上杉家廟所
米沢市御廟1丁目

米沢藩主上杉家廟所は家祖である上杉謙信公の遺骸が眠るところです
 
日本三大文珠出羽亀岡文珠堂本殿 
 正式には松高山大聖寺と言う 御本尊の文殊菩薩は何と1470年前の人皇28代宣化天皇2年(535~539年)中国震旦国五台山より伝来のものだと言う
  優嗜曇 其の3