三崎山旧道入口 国道7号線脇
勿論芭蕉もここから象潟へ赴いた 上るとすぐにしたの石ころの並べた歩きにくい細道にでる
三崎山旧街道
藁草履でこの敷石道を歩くのは難儀であったろう 芭蕉・忠敬に比して戦後日本人の足腰の弱さは余りにもぶざまと言う外は無い 足は長ければよいと言う物ではないだろう 菅江真澄も『・・・御堂の下には手長と言う毒蛇にとられた人の屍が沢山あったが今は岩石が落ち重なって見えなくなったという・・・』と書いている 道というよりは獣道に近いのです |
旧道峠にある大師堂 その名からして滋覚大師が開基とされ往時は23もの寺院があったと云うが信じがたい この辺りには供養塔としての五輪塔が沢山あった 行き倒れの供養碑かもしれない
右 大師堂の隣にある戊辰戦争戦死者の碑 こんな所にまで戊辰戦争の悲劇があるのです |
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吹浦からみた鳥海山 実はここ吹浦に宿世山と云う歌枕があるのです
宿世山 なほいなむやの 関をしも へだてて人に ねをなかすらむ
夫木和歌集 藤原俊成
然し地元で聞いても探してもわからない いろいろ調べてみるとこれは太師崎の別名らしいのです 鳥海山は大物忌山 飽海山 飽海岳等とも言われるがスグセ山も大師崎の三崎山の別名のようです |
有耶無耶の関 其の2
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