湯殿山御宝前御神体
御神体が見れるのは湯殿山と奈良三輪山を御神体とする➡

庄内地方に現存する六体の即身仏一覧

下右  一世行人の祖法海上人之墓碑文

右 芭蕉句碑  語られぬ 湯殿に濡らす 袂かな
左 曾良句碑  湯殿山 銭踏む道の 泪かな
湯殿山は問う勿れ 語る勿れ 聞く勿れ 捕(取・採・獲・盗)る勿れの勿れの霊山でここでは落とした物も拾ってはいけないのです

右下 本宮入り口にある斉藤茂吉歌碑
いつしかも 月の光は さし居りて この谷間より 立つ雲もなし

銭踏む道 
この道の正面が御神体の湯殿(湯殿山御宝前)である この道は芭蕉・曾良が月山から下りて来た道に当るがおびただしい賽銭が足の踏み場も無く落ちていたのです 勿体無くも足で踏んで行かざるを得なかった 誰一人として拾って懐に入れる不心得者はいなかったのです 彼は銭の勿体無さと有難さと足げにする申し訳なさに泪したのだろう


湯殿山 其の3
 

湯殿山御神体
➡大神神社だけ 触ったり登ったり出来るのは湯殿山だけである 熱めのお湯が足に何とも心地よい 恐れ多くも頭まで上れます 蛇もとぐろを巻いていました
語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな  芭蕉  

行人とは修行者の意味だが其の中でも一世行人とは一生涯修行に打ち込む人の事です 湯殿山参詣に訪れた時だけする修行者は登り下りの行人と言うのだそうです

春日局は竹千代を将軍の位に着ける➡

ようにさらにその後年には疱瘡が治るように二度にわたり湯殿山で祈願を行った いづれの祈願も叶ったお礼に局は瀧水寺金剛院大日坊に三間四面堂を建立奉納した その時同行したのが江戸神田法海上人で彼は湯殿山の御神徳に感謝しこの地に残り
 
行人塚
大鳥居の傍らにあるここ湯殿山仙人沢一世行人の修行の霊地だったのです 彼らは先ず真言四ケ寺で仏門に入り得度{出家)して総て海の字のつく号を名のったのです 其れは開祖弘法大師空海の海の字に依ったからです そして木食行人として五穀断ち・十穀断って厳しい修行をされたのです 今ここにはそのおびただしい数の行人塚があります

湯殿山行人となり仙人沢に籠り木食道を修し遂に入寂した