貞心尼居住跡 釈迦堂 柏崎市東本町 側には良寛貞心尼の唱和の歌碑が彫られている 
嘉永4年54歳の時長岡へ父の墓参りに出かけた留守に柏崎大火に遭いこの堂は焼失する
 来て見れば しらぬ野はらと やけはてて 立ちよるかげも なきぞかなしき
 (貞心尼筆「焼野のひとくさ) 
                 

貞心尼墓地入口の門と良寛・貞心尼唱和歌碑恋学門妨(恋は学問の妨げ)
いかにせむ 学びの道も 恋ぐさの しげりて今は ふみ見るも憂し 貞心尼
いかにせむ 牛に汗しと おもひしも 恋の重荷を 今はつみけり  良寛
これはもう師弟愛ではなく男と女の年の差を無視した恋愛感情ですよね
  上 貞心尼墓地 柏崎市常盤台 洞雲寺 
    苔に覆われた見事な寺である
 孝室貞心比丘尼墳 辞世の歌
 来るに似て 帰るに似たり おきつ波 
          立居は風の 吹くにまかせて

 
来るに似て 帰るに似たり おきつ波  貞心尼
 あきらかりけり きみが言の葉    良寛禅師

左 閻王寺跡 貞心尼剃髪の地    柏崎市番神
17才で結婚したが5年で離別し生家にもだった 当時は生活が厳しかったため幼い頃の思い出の地である番神の閻王寺で眠竜・眼竜姉妹の尼僧に弟子入りした それから30歳で長岡閻魔堂で良寛に弟子入りするまで6年間をここで過ごした。

    出雲崎 ]  
左 不求心庵跡 貞心尼の終の棲家 柏崎市西本町2丁目 
左端 貞心尼蓮の露歌碑
柏崎図書館ソフィアセンター入口 
 者(ハ)じめて安ひ見奉利て
き美迩閑久 安悲見留許東能 
有礼しさも 未堂散めや良ぬ
由め可東處おも布   貞
きみにかく 逢い見ることの
嬉しさも まだ覚めやらぬ 
夢かとぞ思ふ
   御可へし
由め能世に 閑川ま東呂見天
由をま多 閑当留毛由も 
所礼可未耳未耳     師
夢の世に かつまどろみて 夢をまた かたるも夢も それがまにまに