旧多母沢御用邸宅 皇太子嘉仁親王(大正天皇)の御用邸の為明治32年に造営され昭和19年には皇太子昭仁親王(今上天皇)も疎開の為一年間滞在された この建物は明治大正に造営された御用邸の中で最大の規模で建坪1360坪 106室を誇る 大正天皇は日光をこよなく愛し在位中に一千日余も滞在されたという 下左 西参道碑 国道120号の歩道に建っている 本来ここが1200年の伝統ある二荒山神社の表参道であるが 東照宮が鎮座したことにより西参道に格下げされた  
国重文旧奥社石唐門 江戸初期における代表的石造美術建築である
左下 松尾芭蕉句碑 あらたふと 青葉わかばの  日の光 石鳥居・石唐門・芭蕉句碑共に日光宝物館の庭にある  下左 国重文旧奥社石鳥居 寛永18年東照宮奥社に建てられたが天和3年の大地震により奥社深く二百数十年埋められていたが当宮350年記念祭記念としてここに移築されたもの      下右 大正天皇御製歌碑(憾満ヶ淵入口) 
衣手も しぶきにぬれて 大谷川 月夜は涼し 岸づたひせり
左  霊庇閣から見た大谷川憾満ヶ渕
 
左下 
並び地蔵(化け地蔵)
滋眼大師天海の弟子約百名が「加古万霊 自己菩提」の為に寄進した明治35年の大洪水のとき親地蔵と他の幾つかが流された 又参詣者がこの地蔵の数を数えるたびに数が違うので化け地蔵と呼ばれる 赤と緑が実にきれいだ 渕のたもとに並んでいる



 二荒の山
 其の